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2021.6.16

平安を感じる古式育苗「水苗代」

(2018年7月公開)

農業が機械化したのはこの50年余りのこと。それ以前は水苗代(みずなわしろ)という方法で苗を育て、田植えをしていました。それは約1200年、平安時代から続いていたとされる稲作の原点。先人たちに思いを馳せる、鹿嶋パラダイス名物の田植えをご紹介します。

「手植え」と「機械植え」それぞれの育苗

唐澤さんが運営する鹿嶋パラダイスは、畑も田んぼも無農薬・無施肥の自然栽培。合計で1町6反(=約1.6ヘクタール≒サッカーフィールドの2倍強)の広大な田んぼでは、人が手作業で田植えをする「手植え」と、田植え機を使った「機械植え」の両方で田植えをしています。

すでに10年以上お米の栽培を続けているものの、この数年で特に「納得のいく強い苗ができるようになった」という唐澤さん。

「自然栽培の場合は特に、田んぼに植える前に、強くて良い苗にすることが大事です」

手植えと機械、それぞれの育苗についてお話を聞きました。

手植え用の水苗代(みずなわしろ)について

お米の栽培は通常、種籾(たねもみ:稲のタネ)を蒔いて育て、立派な苗になったタイミングで田んぼに移植する、というサイクルで栽培されます。

苗は、育苗箱(いくびょうばこ)と呼ばれる浅い箱に土を入れて種籾を蒔くことが一般的ですが、育苗箱は田植えの機械にあわせてデザインされたものであり、近年になって確立されたもの。

当初、唐澤さんも育苗箱を使って自然栽培の種籾を育てていたそうですが、機械植えのためには稲のサイズを揃えながらも、田んぼの中の多少の凸凹にも影響しない背の高い苗にせねばならず、毎年”もっと良い苗にするにはどうしたらいいか”と考えていたそうです。

そこであるとき、最も古い方法といわれている「水苗代」(みずなわしろ)をやってみたところ、大変いい苗を育てることに成功したのです。

 

稲の栽培は弥生時代から始まったとされていますが、現代のように、育苗してから移植するようになったのは、奈良・平安時代のこと。当時はもちろんトラクターも育苗箱もありませんので、育苗するときには、山からの水が流れ込み、常に水がある場所を育苗する場=稲代(なわしろ)にして種籾を蒔いていました。

常に水があるため余分な雑草が新たに発生することや、籾殻を鳥などに食べられることを防ぐ効果もあり、「水苗代」(みずなわしろ)は農業が機械化する昭和30年頃まで続いていた方法だったそうです。

育苗箱にある仕切りがなく、根をはるための土も深い、言ってみれば「大きな大きな自然の育苗箱」の中で立派な稲苗を育てていたのですね。

5月下旬の水苗代の様子
6月上旬の同じ場所。田植え直前で苗も元気いっぱいに。

機械用の苗について

田植えにトラクターを使う場合、前途の育苗箱で育てた苗をトラクターにセットする、育苗箱で育てることが必須となります。

「土が浅い育苗箱でも、一定の背の高さと、無施肥で育てる強さがある苗にしたい」

唐澤さんは毎年いろんなことを考えて試すことを続けてきました。

そして約5年前、水苗代と同様に、山水で常時湛水(たんすい:水が満ちている状態)している場所に育苗箱を設置して育てたところ、トラクターでの田植えにも順応可能な、高さも強さも大変立派な育苗に成功しました。

その育苗場所を見せていただくために、唐澤さんに後ろをついて向かいました。

腰の高さまである草をかき分けかき分け(途中、毛虫が多いところを通り過ぎつつ)たどり着いた先に広がっていた育苗の場所は、まるで別の時代に入り込んでしまったかのごとく原風景を残した自然のままの光景。そこに鹿嶋パラダイスの水苗代は元気に、育苗箱の底から根を外に出し、とても力強く育っていました。

写真の中央あたり、密集して育つ稲苗。
近づいてみるとちゃんとトラクター用の育苗箱に収まっているのがわかります。

そしてこの場所、あたりを見渡すと、周辺の草花だけでなく、遠くに見える山や木々、自然の姿しか視界に入りません。電線などの人工的なものがない、本来なら当たり前のことですが、いつの間にか珍しいことになってしまった現実に思いを馳せました。

そしておもむろに

「ここでこうしてると、昔の人は相当うまいもん食ってたんだろうなぁーって考えるんです」

という唐澤さん。実はこの言葉、決してただの想像力から発せられたものではないのです。

なぜならこの場所、茨城県鹿嶋市は、日本で最も古いとされる神社のひとつ「鹿島神宮」があり、日本に農耕がもたらされた時代にはすでにここで人々が生活していたことがわかっているという、歴史文化が豊かな地。

その同じ土地で今の時代においても苗を田んぼで育ててから別の田んぼに植え替えて、平安時代もそうだったであろう肥料も農薬も堆肥も使用せずに、実って稲刈りしたあとも 1.6ヘクタール分すべての稲をハザ(稲など穀物を乾燥させるために竹などで作られた干し台)に掛けて天日干しにする。1200年もの時間を経て、現代の同じ場所に再現したのが、鹿嶋パラダイスの田んぼなのです。

元々、現代農業界を舞台に”うまいもの至上主義”ともいえるほど、おいしいものを求め続けてきた長年のキャリアがあり、おいしい食材のプロフェッショナルとして並々ならぬ経験を持つ唐澤さんが、「通常の20倍」という労働時間をかけて栽培したのがこのコシヒカリ。

このお米のおいしさを誰よりも一番実感している唐澤さんだからこそ言える、1200年前への最大の感謝を込めた一言なのでした。

「育苗箱の中で、このくらいの大きさまでしっかり伸びます」と説明してくれる唐澤さん。「おいしいお米は非効率に宿る」

 

 

□講師プロフィール

唐澤秀 (茨城県鹿嶋市/鹿嶋パラダイス 代表)

無肥料・無農薬の自然栽培農園「鹿嶋(かしま)パラダイス」代表。クラフトビール醸造家、自然食ビアレストラン「Paradise Beer Factory(パラダイス ビア ファクトリー)」オーナー。 明治大学農学部卒業後、大手農業法人に就職。農業コンサルタントとして多忙を極める一方で、より味が良く、より持続可能な栽培を実現する”何か”を求めて国内外の生産者をたずね続けるなかで自然栽培と出会い独立、2008年5月「鹿嶋パラダイス」をスタート。 現在、田んぼ1町6反(約1.6ヘクタール)、畑は6町歩(約6ヘクタール)にて70種以上の作物を自然栽培し、Paradise Beer Factoryで提供。関東最古の神社「鹿島神宮」の表参道に位置する同店は、神宮の御神水(ごしんすい)で作るクラフトビールの醸造所でもあり、爽やかな味わいのビールも高い人気を誇る。2018年内にはさらに原料の98%を占める自然栽培ビール麦の栽培から始め、全ての素材を自然栽培で作るという世界でも類をみない「自然栽培クラフトビール」を開始。自然栽培を軸に衣食住、エネルギー含めた幅広いものづくりを行う自らを「ただ美食を求める男」と称する。